連日の役所通いに辟易した。

私は女性で結婚の時に旦那さんの戸籍に入っていたので何がしんどいって戸籍を抜いたり、抜いた後両親の籍に戻すか1人ぼっちの独立戸籍になるかを決めたり、保険証からクレジットカードから銀行のカードなど全て変更しないと駄目な作業が一番大変でした。役所での書類はハンコ押し忘れや完全に書き間違いなどで何日も通うことになり途中で全てを投げ出したくなったりして。書類が終わる頃に引っ越しもあり、あの時の凄まじいバタバタぶりを考えると次もし離婚が頭をよぎった時少しは踏みとどまれる材料になると思います。

バツ2です

僕はモテました。結構男前なんです。学生時代は色んな女性と付き合い、その中で特に相性が良かった子と結婚しました。誰もが羨む結婚適齢期の美男美女の結婚でした。色んな方に祝っていただきました。そして仕事は親が材木屋をやっているので、それを継いで順風満帆でした。しかし男前の僕は浮気をしてしまいました。スムーズな結婚の裏にはスムーズな離婚がありました。浮気がバレたときにはもう妻は離婚届を書いて僕に突き付けていました。仕事がうまく行っていたので、慰謝料を払払って離婚し、こともあろうか浮気していた子と結婚しました。

僕はバカです。そして2人目の結婚も僕の浮気であっけなく離婚で幕を閉じました。2人の妻の間にできた3人の子供は僕が全部育てています。今は実家に子どもを預け、毎日働きづめです。こんなことなら結婚しなければ良かったと思っています。男ってバカな生き物ですね。まだ続きがあります。親の会社を継いだのは良いですが、無駄な出費をして借金が返せなくなり、多重債務でも必ず融資してくれるところにお金を借りてしまいました。親にお金を借りて完済しましたが、どうしようもないですね僕は。

身寄りがなく、住まいが確保できませんでした。

私は親も亡くなって兄弟もいなかったため、一時的にでも実家に帰ることができませんでした。自分で新しく部屋を借りようにも、保証人になってくれる人がいないので、住むところを確保するのがまずは大変でした。最終的には勤め先の社長が保証人になってくれてアパートを借りることがきましたが、女一人だと世間から軽く見られて何をするにも大変なのだなというのを実感しました。自分の場合は離婚前からちゃんとした勤め先があったので何とかなりましたが、仕事を探すところから始めるとしたらもっと大変だったろうと思います。

ケチで虚言壁のせいで…

離婚した夫が、かなりのひねくれものかつ虚言癖がある方でした。離婚の話を進めている最中、一度記載した離婚届がなくなってしまい、問いただしても知らないの一点張り。結局引っ越しの際に部屋を片付けたにも関わらず出てきませんでしたが…養育費を決める際にも、断固自分の考えを曲げず、調停に持ち越したくはなかったので、結局裁判所で決められている最低金額も満たない額で決着をつけることに。借金もしていた夫だったので、かなりのケチで、公正証書にかかった金額などにもケチをつけていました。

離婚自体の苦労ではないですが・・

平成4年、入籍と同時に過労からノイローゼになりました。休みや休職を取らせて頂きながら、サラリーマンを続けていましたが、平成12年に双極性障害と診断されました。平成20年にいよいよ出社もできなくなりまして退職いたしました。

傷病手当金、失業保険で2年間食い繋いでまいりましたが、妻の兄の計らいがあり、妻子は別居することになりました。私は一軒家で一人暮らしを病気もわずらいながらしてきました。

平成25年に妻の兄と妻から離婚してほしという旨の相談が有り、妻に迷惑をかけれないと思い、離婚を決意しました。離婚自体はスムーズにいったのですが、前後は苦しみました。

離婚はしない方が良いと思います。

結婚をして妻の父親の経営する会社に就職しました。住まいのマンションもその会社の名義で借りている物でした。ですから、離婚となると仕事も住まいも無くなりました。更に妻は私の実家の県と隣の県の人だったので、離婚か確定した後の再就職先や住まい、荷物の移動等を迅速に行わないといけなかったので、本当に大変な思いをしました。そして私の両親は、結婚に反対でしたので、私は実家にも帰れませんでしたので、お先真っ暗と言う感じで、苦労しました。

私の離婚問題

私は20のときにでき婚しました。子供が産まれてからしばらくすると旦那の残業が増え定時に家に帰ることは週に3日ぐらいになりました。その後、財布やスマホをこっそり確認すると浮気の証拠がでてきました。自分たちの親を呼び話し合いになりましたが旦那の親は魔が差しただけ今回は許して欲しいの一点ばりで旦那も離婚は嫌だ、もし離婚するなら親権は貰う養育費を月8万は払えとなかなか話が進まず結局、弁護士に頼み親権は私に慰謝料も貰い離婚しました。